障がいと介護

医療行為の壁

あんずパパ
あんずパパ
医療行為の問題は、私たちのような家族が家庭で一緒に暮らし続けるための大きな障壁となっています。

私の奥底にある気づかない偏見

重度の障がいを持ちながらも、一人暮らしをしている知人が数人います。様々な人の力を駆使しながら、懸命に一日一時間一分を生きています。
第三者的に障がい者の一人暮らしを知った時、正直過去の私は、「そこまで沢山の人手を必要とするくらいなら、親の側か施設で暮らせばいいのに」と思っていました。

そこまでして、何故一人暮らしをしたいのか。答えは簡単です。自分のことに置き換えて考えてみればれば、「そこまでして」という考え方こそ、私が育ってきた環境の中で私自身に自然に植え付いた偏見なのです。

障がいがあろうがなかろうが、同じ人間です。自分で自分のライフスタイルを作りたいという願望は、大人への成長の証しでもあり自然な流れです。
施設に入所したら、集団生活となり、自分のライフスタイルは選べません。
障がいにめげることなく、当たり前に生きようとする彼ら(彼女)の努力は、日々わがままで生きている私には頭が下がります。

精神的に自立生活の妨げになっている考え方は、私も自分の子どもに障がいがあることが分かるまで持っていた偏見です。

自立生活に立ちはだかる医療行為の壁

生活的(制度的)に、自立・在宅生活の妨げになっていることがあります。「医療行為」です。
例えば、痰の吸引です。当事者や家族は、「生活行為」と思っていますが、医療者や周囲の人は「医療行為」と言います。
医療行為についての受け取り方は様々ですが、医療法できちんとした決まりがあります。法律なので違反したら大変なことになります。
この法律が、在宅で生活をするための大きな弊害となっています。

私もせっかく医療・介護業界で仕事をし、障がいを持った娘の父親でもありますので、両方の立場を考慮したうえでミックスした表現をしてみます。

  • 医療行為とは、医療者による保守的考え方・制御であり、メディカル・コントロールである。
  • 医療類似行為とは、医療者による支援であり、行為は家族が行うメディカル・サポートである。
  • 生活行為とは、本人と家族の自立性の尊重であり、生きるために不可欠な行為である。

先に制度の所で記しましたが、在宅○○指導管理料という報酬が設けられたました。これは、医師の指導に基づく医療行為であれば、在宅で行ってもよい行為と取れます。
しかし、あくまでも本人か家族に限られます。障がいを持った人で、自分一人で痰の吸引ができる人など存在しません。
結果、24時間のサポートは家族だけとなります。家族には、「寝るな」と言っているようなものです。

在宅での医療行為を可能にするためには、絶対解決しなければならない問題です。まずは、医療関係者が当事者に価値観を近づけることです。

痰の吸引は「生きるための行為」

痰の吸引が多いので、事例として取り上げますが、医療者の価値観は、医療者以外が行えば医療法違反です。
当事者・家族の価値観は、生きるか死ぬかです。価値観とは厄介なものです。

ボランティア活動をしていた若い頃、国際理解という話を聞いたことがあります。
ある途上国では、トイレを川で済ませます。その同じ川で、野菜を洗い、洗濯物を洗い、身体も洗います。
皆さんは、この行為をどう思うでしょうか。ほとんどの日本人は、「え~、汚な~い」と言うでしょう。

今でこそ日本人は衛生的になりましたが、NHK大河ドラマなど戦国時代を見ていると、日本も昔は似たような生活環境だったのではと思います。
途上国の住民にとって、先の行為は普通の生活であり、現代の日本人と価値観が違うだけで、汚い行為ではないのです。

話が少しそれましたが、痰の吸引が「生きるか死ぬか」という行為である私たち家族にとっては、法律違反であろうがなかろうが、どうしてもやらなけらばならない行為なのです。
簡単に、医療行為は法律違反と言って欲しくありません。

それでも、どうしても痰の吸引が医療行為と言う医療関係者がいるとすれば、「病院を退院させるな」と言いたい。

退院させて自宅に帰すということ自体、医療行為がもう必要ないと、医療者であるあなた方が判断したことではないのか。
医療業界で働きながら、本当に矛盾を感じます。医療者に都合のよい解釈をぶち壊す必要性を、日々痛感しています。

病院は医療の場、家庭は生活の場

病院は、「医療の場」です。医療が中心で、家族はその一部でしかありません。治療、安全性の確保・延命が中心的課題となります。
機器類は、医療機器であり、ケアは医療的ケアであり「医療行為」そのものです。当然です。

家庭は、「生活の場」です。医療は、生活のごく一部でしかありません。中心は、本人を含む家族であり、医療はそれを支える一部です。QOLが中心的課題です。
医療機器は、介護器具です。ケアは、日常的な生活的・介護的・教育的・習慣的ケアであり「生活行為」です。「医療行為」などではありません。
この考え方を、制度として早く確立できないものかと日々悩んでいます。

本人の自立を視野に入れた、24時間医療的ケアサポートシステムの構築でもなされれば別ですが、2005年、厚生労働省から「医療行為でない行為」という通知が出されました。「あえて分かりにくくしているのでは」、と思ってしまうほどの表現です。
内容は、以下の5項目だけです。

1.体温計測(水銀体温計、電子体温計、耳式電子体温計など)

2.自動血圧測定器により血圧を測定すること

3.新生児以外の者であって入院加療の必要がないものに対して、動脈血酸素飽和度を測定するため、パルスオキシメーターを装着すること

4.軽微な切り傷、擦り傷、やけどなどについて、専門的な判断や技術を必要としない処置をすること(汚物で汚染されたガーゼ交換を含む)

5.医薬品使用の介助(①~③の条件を満たしている場合)
 皮膚への軟膏の塗布(褥瘡の処置を除く)、皮膚への湿布の貼付、点眼薬の点眼、一包化された内用薬の内服(舌下錠の使用も含む)、肛門からの坐薬挿入または鼻腔粘膜への薬剤噴霧を介助すること

①患者が入院・入所して治療する必要がなく容態が安定していること
②副作用の危険性や投薬量の調整などのため、医師または看護職員による連続的な容態の経過観察が必要である場合ではないこと
③内用薬については誤嚥の可能性、坐薬については肛門からの出血の可能性など、当該医薬品の使用の方法そのものについて専門的な配慮が必要な場合ではないこと

以上ですが、現実離れしているとしか言いようがありません。2005年以降調べていませんので、現在では多少変化しているかもしれません。違っていたら、ご了承ください。

行政の担当者は、仕事上よく経験してきましたが、逆解釈ということを言います。
それは、『ここに書かれていることが「医療行為でない行為」ということは、これ以外はすべて医療行為になります。』ということです。

あんずパパ
あんずパパ
同じ行為でも、他人が行えば医療行為、家族が行うことは生活行為。この扱いに今でも納得いきません。痰の吸引で一部訪問介護員が指定の研修を修了すれば可能となりましたが、少しでも早く、一定の研修を修了した一般の人ができる行為になればと願います。そのためには、もしもの時、痰の吸引を行った人を守る保険ができることだと思っています。