『私のかぐや姫』
杏子は、先に述べましたが、医師の宣告通り20歳で旅立ちました。
数ヶ月間は、食べ物も受け付けないほど苦しい日々を過ごしましたが、寿命まで精一杯生きてくれました。
まだ杏子が小さく、重苦しい思いで日々を過ごしている頃です。
夜空を見上げると、見事な満月が光り輝いていました。『もし地球が無重力であったら、娘も筋力が弱くても普通に生きていけるかもしれない。ひょっとしたら、娘は宇宙人かも。
そうだ「かぐや姫」だ。だから、お年頃になったら、お迎えが来て月へと帰って行くんだ。』と、自分に言い聞かせたことがあります。
死期を悟った? 娘の延命治療の是非
平成19年6月に20歳の誕生日を迎えた娘は、急に食事を拒否するようになりました。
口元にスプーンを近づけても、頑として口を開きません。「食べたくないとね!?」と尋ねると、頭を縦に振ります。自分で最後を悟ったかのように、3日に1食分も口にしなくなりました。
親として、せめて水だけでも口にして欲しいと、必死に飲ませようとします。何度繰り返しても受け入れてくれません。
しばらくは、点滴でしのいでいましたが、「このままでは死んでしまう!」。背筋に寒気を感じました。
妹が既に胃ろうの手術をしていましたので、かかりつけ医と相談し、胃ろうの手術を行いました。
しかし、親の期待とは裏腹に、手術は逆効果。申し訳ないことをしてしまったと、辛い気持になりました。
胃から直接栄養を入れることへの恐怖心からか、潰瘍が広がり、一向に改善には向かいません。栄養を注入している間中、「お腹いたい!」と、冷や汗をかきながら私に訴え続けます。
次の手段として、IVHを行うことになりましたが、今度は肺に水が溜まり、体中むくみで、手のひらは私より分厚く、指はグローブのようになってしまいました。
ベッドに寄り添っている間中、3時間も4時間も「お腹いたい!」「おうち帰りたい!」と永遠と訴え続ける娘。パンパンになった手のひらを握り締めながら、「何のために治療をやっているのか?親の勝手な延命治療なのか?!」、涙で娘の顔が見えません。
治療をやればやるほど、苦しませているような気がしてなりません。
夫婦で相談し、治すための処置はやめて、痛みをとる方法に切り替えてもらえるよう、先生にお願いしました。
人は、生まれたからには必ず死が訪れます。ましてや、「死期を悟ったような態度を繰り返す娘に延命治療を行うことは、苦痛のなにものでもない。」と、やっと理解できたからです。
人様々な考え方があってしかりですが、私の場合は娘との無言の会話でそう判断しました。
お月ちゃんへ旅立ったかぐや姫
娘は、よくベッドから見えるお月さんを見ては、「お月ちゃん、お月ちゃん。」と、嬉しそうに喋っていました。
私の空想が真実だったかのように、2007年8月30日に成人式にと買ってあげた着物をまとい、「お月ちゃん」へと帰っていきました。
その時の心境は、「娘を亡くした寂しさで何もしたくない自分」と、「娘からもらったメッセージを活力に奮い立とうとしている自分」と、争っているわけではなく、共存している不思議な心の状態でした。
普通であれば、親が子供に生きる知恵や物事の道理を教え、一人前の大人として育て上げるのが役割なのでしょうが、私の場合は娘から様々なことを学びました。
父である私への教えは、これで十分とでも思ったのでしょう。「これから先は、私に費やしていた時間をお父さんの思うように精一杯誰かのために使って。」と、言っているかのようです。
妻は、「杏子は、両親を独り占めした約4年間を妹にあげるために、妹が20歳になる4年前に旅立ったのよ!」と言っています。
生と死と合わせて命
杏子への19年間の介護の大変さは、心身ともに半端なものではありませんでした。介護から解放された時間を、どう使っていくか。これからが、真の私の生き方がスタートすると思っています。
娘が私より先に逝くということは、辛く寂しく悔しいことではありましたが、悲しいことではありませんでした。
それは、普通の家族より、親子として接した時間は遥かに長く深く濃いものだったからです。
食事も一緒、娘が20歳になってまでもお風呂も喜んで一緒に(1人では入れないので仕方なくかもしれませんが)入ってくれました。
生まれたものには必ず死が訪れます。生まれたときには喜び、亡くなったときには悲しむのが普通かもしれません。
私の上司から聞いた話ですが、インディアンの諺に、「生まれた時は、自分が泣いて周りは笑っている。死ぬ時は、自分が笑って、周りは泣いている。そんな生き方が最高である。」、というような内容だったかと思います。
生と死は合わせて一つのものであり、それが命です。別々に考えることはおかしいのではと、つくづく思います。
死が訪れたということは、生きた証であり、考えようによっては喜ばしいことではないかと。
長く生きた例で、20歳という病気です。普通で考えれば、100歳まで生きれたようなもので大往生だと思っています。