「孤独からの脱出」
いつまでも、落ち込んでばかりいる訳には行きません。自分なりに葛藤しながら、少しでもこの状況から抜け出したいと努力をしていました。
まずは、夫婦の会話を取り戻すことが意思疎通上もっとも大事だと思い、話をするのですが、なかなか上手くいきません。そこで、妻の提案で「交換日記」をすることになりました。言葉ではうまく言えないことも、日記では伝えることができました。お互いの立場で、いろいろ悩んでいることや考えていることが理解し合えました。孤独からの脱出です。
今でも、日記の一部が残っています。たまに目を通すと、当時のことが思い出され目頭が熱くなります。日記のお陰で、会話を短期間の内に取り戻すことができました。その一部を紹介します。
「1989年2月17日金曜日、雨」
「今日から杏子の一日のこと、家のことなどをこのノートに付けます。あなたと話す時間が少ない分、このノートでコミュニケーションしようと思います。あなたは、これを読んで返事を付けなくてもいいです。枕元で読んでください。」
「9時40分からリハビリだったのですが、雨が降っていたのでタクシーで行きました。今日はM先生で、ボールとおもちゃの車を使いました。ずっと泣いていたけど頑張っていました。ご飯は朝昼晩とも、いつもよりずっと少ない量でした。ひょっとすると、私の風邪がうつって扁桃腺をはらしているのかしらと思いました。でも、熱は出ていません。私の風邪は鼻ズ―ズ―です。薬を飲んでいるので、じき治るでしょう。」
「あなたの方は、どうですか?睡眠不足と過労で身体もずいぶんとくたびれていることと思います。どうぞ、無理をせずに大切にして下さい。あなたの奥さんに早くなれるように努めます。それでは今日はこれでまた明日。」
「1989年2月17日午後11時55分」
「とにかく身体がきつい、精神的にもきつい。今、僕は父親らしいことはほとんどできていません。甘えているかもしれないけど、それは自分自身にとっても、すごく空しいことです。おまえも杏子のことで、すごく大変だと思っているけど、なかなか思ったようにフォローする元気が出てこない。たぶん、仕事に使い過ぎだからだと思うけど。だけど今の仕事をしている以上、これから先も状態は変わらないだろう。」
「(中略)杏子のことを考えると、僕もすごくつらいし悲しい。だけど、他人は誰も俺たちの気持ちなんかわかってくれない。できるものなら、思いっきり挫折して落ち込んでみたい。そのほうが楽なような気がする。でも、そこを乗り越えて行かなければならない自分がきつい。正直、逃げ出したい。でも、結局、自分が頑張らないと駄目だということもわかっている。とにかく、一つひとつ乗り切っていくしかないと思う。」
「別におまえに、よい奥さんになれとは言わない。変な意味で言っているのではなく、俺の望みとしては、杏子にとって強い母親になってくれることを望む。また、俺の奥さんにならなくても、責めようとは思っていない。言い換えれば、奥さんとして俺のことは構わなくていいから、母親として杏子にたくさん、できるだけ君の愛情を与えてやって欲しい、ということを言いたかっただけだ。きついだろうけど、俺にしなくていい分、してやって欲しい。(後略)」
「2月18日土曜、曇り」
「(前略)前日のあなたのコメント、泣かされました。あなたの心の中がよくわかり、本当にありがとうという気持ちでいっぱいです。あなたと結婚して、やっぱり良かったと安心できました。とにかく無理しないで大事にして下さい。それだけお願いします。」
「2月27日月曜」
「(前略)この前、実家に行ったとき、昔の手紙をいろいろ読み返している内、様々なことが思い出され、すごーく楽しくて悲しくなりました。過去と現在、現実を見るのはとても辛いこと。結局は杏子のことから逃げているのだと思います。私と一緒にならなかったら、と考えたことがあったと思います。でも、これも運命です。私たちだからできることなのだと思います。」
「昔、Kちゃんに『地球儀を回してみろ。回してみて、自分の立っているところを探してみろ。今悩んでいる自分のちっぽけさがよくわかる。』と言われたことを思い出しました。この地球にはいろんな人が住んでいるし、いろんなことも起こっている。けれど、私たちは今、自分たちのまわりしか見ていません。誰でもそうだけど。」
「杏子は神様だと思います。だから、私たちが大切に抱っこしなくてはいけません。だから、私たちがご飯を食べさせます。だから、私たちが遊ばせて世の中のことを教えています。これから、そう思うことにします。でも、早く空に帰って行きます。早くても十分楽しんだから……?苦しいのはなぜでしょう。わかりません。」
「やっぱり次の子どもを生みたい。元気な子どもを生んでみたい。そしたら、私たちの関係も杏子のことも、もっと元気に楽しくなると思うのです。でも、また同じ子どもだったら?そのときは、もう本腰入れて筋ジスと闘います。」
日記の一部をご紹介させていただきました。私たちの精神的な成長は、この交換日記の変化によく表れています。しかし、次の子ども(杏菜)が誕生するまで5年の歳月を要しました。