障がいと介護

障がい児の在宅生活は母親任せ

あんずパパ
あんずパパ
障がい児が、在宅で生活を送るための要件は、母親が子供のトータル的な援助者になることが必須です。即ち、我が子に、障がい及びそこから派生する物事を母親が全面的に引き受けることで成立します。

障がい児の面倒は、親が見て当たり前

私は、定年退職した今でこそ違いますが、1年・1月・1日のほとんどを仕事に費やしてきました。
良し悪しはまずはおいといて、我が家は正直、子供の日常生活は、母親の犠牲的精神に支えられてきました。

犠牲という言葉は使いたくありませんが、精神的(そうでもあったかも知れません)にではなく、身体的に、時間的にという事です。
また、妻だけではなく私も同じ考えですが、子供を施設に入所させることには罪悪感を抱きます。

社会的に、障がい者理解や人権尊重という意識は高まってきましたが、在宅生活は、「家族任せ、母親任せという発想」が根強く残っています。

特に、市役所の制度や職員の対応に、「障がい児の面倒は、親が見て当たり前」、とうい考え方を感じます。
違うと反論をいただきそうですが、事実私自身が何度も体験した事でもあります。

結果、在宅で生活するための社会的条件である社会資源は未整備が多く、不足を補おうという制度改革も行動もなかなか前進しません。

具体的に言うと、介護保険の場合は、家族が同居していても居宅サービスを利用できますが、障がいの場合は、何かというと、「ご両親でやってください」と、行政担当者から、いとも簡単に事務的に言われます。

様々な役所での手続きも大変です。障がいを持った子どもを連れて、役所の手続きに行くのは、相当に大変です。役所の職員は、平然と市役所まで手続きに来るよう言います。

「自宅に市役所の職員が来てくれる制度はありませんか?」と、尋ねると、「いつ訪問できるか分かりません。手続きも数倍の日数を要します。それでよければお待ちください」、と言う返答。いかにも、来いと言わんばかりです。

反論すると、「お父さんが仕事を休めばいいでしょう」。話になりません。

母親の「一生という単位」での障がい児ケア

家族のマンパワーそのものがなければ、障がい児は我が家で暮らせません。
結果、『母親の「一生という単位」での障がい児ケアが必要』、となってしまいます。

在宅での生活に必要な事は、「医療行為」ではなく、子どもの生活を支える「生活行為」になります。視点を変えれば、母親の生活を支えることでもあります。

母親は、子どもの家庭生活・学校生活を支えることに専念し、自分の事は後回しにします。母親の身体的ストレスは、計りしれません。ケアの担い手としての生活が、毎日繰り返されるわけですから。
私へのたまのイヤミは、仕方がないと思って受け止めるようにしています。心にゆとりがなく、喧嘩になることもありますが。

更に、母親のライフコースには、先が見えない不安定さがあります。
一般的な母親は、一人の女性として、「子どもが成長し、塾や習い事に通わせ、高校・大学は○○で、□歳には結婚して、孫ができて…」という、明るい未来を想像をする事でしょう。

障がいを持った子どもの母親は、居住地から離れた療育施設や養護学校へ親同伴で通います。我が家もそうですが、近所の人と出会うチャンスがほとんどありません。

よく、子どもの同級生を通じて母親つながりができ、地域とのつながりができていくと聞きます。「○○チャンのお父さん、お母さん」という具合にです。

子どもが、差別や偏見にさらされ、特別の視線を注がれる事を避けるため、散歩すらままなりません。余計に地域の人に知られる機会が少なくなります。

母親は、常に子どもの立場を代弁し、我が子に不利益が生じないように神経を張り巡らします。
結果、子どもが少しでも心地よく生活できるよう、介助者である母親は、自分の生活リズムを失う事になります。

乳児のケア(特に寝れない)に近い、時には高齢者介護(特に身体的・経済的負担)と変わらない、重度障がい児のケアが何年間も継続します。
私も妻も、令和4年で介護歴約35年になります。

妻は明るい人?

よく私の妻は、「明るい人ですね!」と言われます。
私の印象ですが、妻だけではなく、障がい児の母親はいつもパワフルで明るく生き生きと活動しているように見えます。

実は、この評価は対外的な一面でしかなく、ただただ子どものために一生懸命な姿が、そう見えるだけなのではないでしょうか。

私も妻もですが、年齢とともに徐々に健康状態は良好とは言えなくなります。むしろ、膝が痛い、腰が痛い、高血圧や糖尿病等々、何らかの症状を持っていることが多いと思います。年齢には、どんなに努力しても勝てません。

長い間の無理が重なり、精神的には強くなっても、身体の故障は増えるばかりです。妻は腰、私は肩。最近では、体重が重くなった子どもを抱えることさえ困難となってきました。

ある頃、両腕が神経的に痛くなり、毎日湿布を貼って顔をしかめながら、子供を寝返りさせたり抱きかかえたりしていました。おまけに妻はぎっくり腰。

私と妻の診断書を整形外科から取り、市役所に訪問入浴介助の依頼をしましたが、当時、私が介助しているということを理由に却下されました。
いつ壊れるかもしれない腕や肩の状況で、一生懸命、毎日ストレッチ体操をしながら、入浴介助を続けていました。そうしないと、娘はお風呂に入れなくなりますから。

何年後だったか忘れましたが、やっと訪問入浴が受けられるようになり、一人で行う入浴介助の重介護から解放される日がやってきた時には、本当に助かりました。

あんずパパ
あんずパパ
話は戻りますが、明るい妻であり続けてもらうためには、まずは母親支援が先決です。私が出来ているか否かは取りあえずおいといて、母親の身体的・精神的サポートは、父親支援でもありますので。