「胃ろうの手術 葛藤の日々(今でも)」
日記の一部です。「3年ほど前(平成15年頃)から、姉妹のどちらかが入院するようになってきた。予想されたことだが、2人も障がい児をかかえていると、日々の生活だけでも大変なのに、入院ともなれば相当大変である。特に、昨年末から、妹アンナの体調が思わしくない。平成18年は、新年早々入院してしまった。」
杏菜は、平成15年頃より誤嚥の症状が現れ、なかなか食べ物が喉を通らないというか、咳き込むようになってきていました。
それを回避するためには、車イスに座って食べていた食事を、寝せて食べさせるようにするしかありません。
その為、座る機会が減ってしまい、あっという間に筋力が低下し、寝たきり状態となってしまいました。何かを回避するためには、何かを犠牲にしなければならない、悲しく辛い選択を迫られる。可哀そうでならない体験です。
それでも、日々、誤嚥の状態はひどくなり、入浴の度に栄養失調の子どものようになった娘の胸を目にすることになります。可哀そうで見ていられない。まるで洗濯板でした。
平成17年8月、悩んだ末、胃ろうの手術をしてもらいました。当初は、「口から食べられなくなる=胃ろうの手術」と、思っていたので反対していましたが、医師の説明によると、口からも食べられることを知り、また、薬を直接注入できる事は、口から薬を飲めなくなった娘にとってはリスク軽減につながると賛成した次第です。
「気管切開の手術 延命治療に対する葛藤」
徐々に栄養状態は改善に向かい、少しですが洗濯板のような胸も滑らかになり始めました。
しかし、喜びもつかの間、今度は自分の唾液を誤嚥するようになり、肺炎をおこし無機肺となり入院してしまったのです。
いよいよ、気管切開を考えなければならないのか?!ほんの数日、座らせる機会をなくしただけで寝たきりになるほど、筋力の低下が早い杏菜。
人工呼吸器をつけるということは、自立呼吸の機能を奪うことにもなりかねない。素人的ではありますが、恐らく気管切開しなければ、退院することは不可能だと想像できました。
自分で食べることもできず、空気を吸うことさえもできなくなる娘。考えさせられました。「そうまでして、生き続けなければならないのだろうか?」。
病室のベッドで、懸命に生きている杏菜の顔は、なぜか安らかに見えます。数日前、苦しんでいた様子がうそのように穏やかなのです。病室では、人工呼吸器をつけた状態でした。「この穏やかな表情は、人工呼吸器を外したら消えてしまうかもしれない。」と思いました。
入院した日の午後、担当医から話があるという妻からの連絡。「恐らく気管切開の話だろう。」私は、想像できました。
気管切開そのものに対して反対ではありませんでしたが、声との引き換えになってしまします。杏菜の声が、二度と聞けなくなります。それよりも、話せなくなる杏菜自身はどれだけショックなことだろう!?想像が付きませんでした。
また、つい寿命ということを考えてしまいます。
杏菜にとっては、早すぎる終末期です。これが寿命だとすれば、気管切開は延命措置とも取れます。
人は、自らの力で、食べることも呼吸をすることもできなくなっても、生き続けなければならないのだろうか。死は、人間や生き物全てにとって自然なことであり、いけないこと、怖いことだとは思っていません。
私は、宗教家でも信心深いほうでもありませんが、「自然」を軸にした考え方が大好きです。映画のアースやNHKテレビのダーウィンが来た等、自然界や動物の生きざまをテーマにした番組が大好きです。
死は、生きるものにとって自然な流れであり、避けることはできません。早いか遅いかの差こそあれ、地球上の全ての生き物の命のバトンの一コマだと思っています。
「葉っぱのフレディ」が伝えたい事 「命の循環」
「葉っぱのフレディ」という有名な童話があります。何気なく読んだときには、「葉っぱの一生を人間の一生に例えた、分かりやすい本だな。」という軽い印象しかありませんでした。
今では、この話が頻繁に頭に浮かんで来ます。「葉っぱのフレディ」が伝えたたかったことは、死の怖さではなく、「命の循環」であり、葉っぱという人生は終わるが、木から落ちた葉っぱは、やがて雪解けとともに土と混ざり、せせらぎとなり川となって海へと注ぐ。
太陽の熱に暖められた水蒸気は、雨となって台地に注ぎ、木に吸い上げられ再び葉っぱとなっていく。葉っぱにならなくとも、地球上の何かに変わって再びこの世に存在し続ける。
人間も同じではないか。人間としての肉体はなくなりますが、再び人間になるかは別として、地球上の何かに生まれ変わるのは確かだと思っています。それは風かもしれません。水かもしれません。動物か植物かもしれません。私が好きな、魚かもしれません。
父を亡くした高校一年の時、火葬場の煙突から出てくる煙をみつめながら、次の言葉を口ずさんだことを覚えています。「父ちゃんは、煙になって風にならした(なってしまった)。」
生きている人が、風に乗ってやってきたと思えば風になり、この犬は○○の生まれ変わりだと思えば、そうなのかもしれない。とにかく、地球上のどこかにいるのは間違ないと思いました。
娘達との別れが早いことは、辛く悲しいことですが、無になることではない。自分が思えば、いつでもそばにいる存在に変わりはないのだ。霊界を信じる方々の話によれば、現世は修行の場だそうです。
娘たちは、普通の人の数倍の修行をしたから、早く旅立ちの日が来るのだろう。そう思っています。
「障がい児に学校の卒業式はいらない!?」
平成18年3月10(金)は、姉杏子(モモコ)の卒業式でした。12年間通った養護学校(友人)とも、とうとうお別れです。卒業式は、本来喜ばしいことです。
しかし我が家にとっては、手放しでは喜べません。明日から、人生の残された日々のほとんどを、自宅で過ごさなければならないからです。
妹の杏菜は、残念ながら姉の卒業式までに退院できませんでした。通常は、母親が入院に付き添っているのですが、どうにか努力して、「卒業式には、絶対妻を出席させるぞ!」と仕事を休み、付き添いを交代し出席させることができました。
杏菜が入院した1月から卒業式までの約一ヵ月半、私が杏子の通学を行っていました。毎日、子どもを学校へ送迎していると、他の母親、学校の先生と毎日のように顔を合わせます。
養護学校の場合、転校をしない限り12年間(小中)同じ学校に通学することになります。
「子どもの卒業でもあるが、ある意味母親の卒業でもあるな。」と、感じました。卒業式の前日まで、私が送迎を行いましたが、今日でおしまいかと思うと目頭が熱くなってしまいました。私はたった一ヵ月半でしたが、12年間も送迎を続けた母親は、寂しいどころではないであろうと心底思いました。
「逃げたい、逃げ出したい、逃げられない、逃げるところなんてない」
杏菜は、姉の卒業式当日、手術の抜糸でした。うまくいけば、あと一週間くらいで退院かと期待しましたが、そうは行きませんでした。
消化器官と気管を分離したはずが、まだ穴がふさがっていなかったのです。おまけに、MRSAと診断され、いつの退院か予定が立たなくなってしまっていました。
「もう学校へは、連れて行けない。モモコを連れての出勤のストレスで、潰れそうだ。」何一つ自分でできない娘との二人暮し。仕事のことも、モモコのことも、アンナのことも大切です。できる限りのことは、やってあげたい。
しかし、正直クタクタ、ヘトヘトでした。
どこでもいいから、逃げ出したい。逃げたい、逃げられない、逃げるところなんてどこにもない。モモコもアンアも、妻もみんな頑張ているから。
今の職業は、自分たちのような環境の家族を助けようと選んだ仕事です。自分の子どもが入院した時、周囲の支えに本当に助かり有り難いと思いました。
この体験を、「自分だけ助けてもらうことができた。」で終わらせては、私の使命が果たせません。