障がいは、社会のありようで違ってくる
何を基準に、何を持って障がいというのでしょうか。
メガネをかけることも障がいなのでしょうか。極端に走るのが遅いことも障がいなのでしょうか。はたまた、学校の成績が悪いと発達障がいなのでしょうか。
明確に、「~だから障がい」という、決まった実態などありません。
障がいは、社会のありよう、人それぞれの受け取り方で違ってきます。
子どもの障がいのことを調べている内、日本の過去の法律に、身震いするような「優生保護法」というものがあった事を知りました。
条文の一部には、「優生上の見地から、不良な子孫の出生を防止する」と書かれています。
「不良な子孫」とは、遺伝病の人、遺伝的な奇形や身体的障害を持つ人、遺伝的な精神病の人などと明記されています。
「出生を防止する」とは、必要に応じて断種(優生手術)する、即ち、不妊手術や人工中絶を行うということです。
現在、国を相手に訴訟問題となっているので、ご存じの方も多くなったかと思います。
不幸な子供って???
また、「不幸な子どもを産まない運動」を県レベルで推進した県知事がいたことも知りました。
どこの知事かは記しませんが、「一人の障がい児が産まれて、その子どもを一生面倒みていくとすれば莫大な金がかかる。それは社会的損失だから、生まれてこないようにするのは当然である。」という内容です。
あまりにもお金の価値観に偏った衝撃的な考え方に、言葉もありません。
わが子に置き換えれば、「私の娘杏子は、不良で不幸な子どもであり、面倒みるのに莫大なお金がかかり社会的損失につながるので、不良な子どもを生んだ私の妻には、二度と子どもを産めないように手術をさせなければならない。」、ということになります。
もし、この知事自身の子どもさんが障がいを持って生まれてきた場合でも、同じ考えを持つのだろうかと思ってしまいます。
残念ながら地元熊本にも、数年前同じような考えを持った公害病で有名な市の市長がいました。全国的にも有名になりましたが、不信任案が提出・可決されるなど、まだまだ現在の問題でもあります。
当たり前?の暮らしをしたい
日本は、障がいを持つ人が「当たり前」に町の中で暮らしていくことが、難しい国だと思います。
全ての市町村を知っているわけではありませんが、あくまでも私が経験してきた狭い世界での見方です。
「当たり前」の一つの例として、子どもが成長するのに合わせ、幼稚園(保育園)、小学校、中学校、高校(大学)を経て社会人となります。
多少の違いはあれ、ほとんどの国民が歩んでいく道筋です。
私の長女を保育園に通わせる時は、市役所の担当部署と喧々諤々しながら、やっとの思いで一般の保育園に通わせることができました。
保育園の申込時、市役所窓口での説明は、いつも同じでした。
「お母さんが働いていないとだめです」。それくらい当然知っています。
知った上でのお願いなのですが、保育園入園の条件に、私の家族の様な状況は理由として明記してないから、市役所職員の理論には、法律上、絶対入園はあり得ないのです。
「保育園を利用する条件は、知っています。しかし、2人の障がい児がいて、1人を見るためには1人を保育園に預けないと、生活が成り立たないのです。1人の障がいを持った子どもの面倒をみる事は、仕事を持っているに値するくらい大変なんです。どうにか、そこの所を考慮していただけないでしょうか。」と、必死になってお願いしました。
結果は、同じです。何度お願いしても、「お母さんが働いていないとだめです」の一点張りです。この応対の繰り返しに、行政のありように情けなくなり、涙が出そうでした。
「このままでは生活が成り立たなくなる。どうしよう!」と、途方に暮れている時、あることを思いつきました。「保育園の窓口でダメなら、障害福祉課にお願いしたらどうだろう」。
結果は、一転。少し手間はかかりましたが、障害福祉課で、二人の子どもの障がいの程度の確認が行われ、保育園で初めての障がいを理由とした利用がスタートしました。
他のいくつかの自治体で、既に行われていることでもありました。
現在では、障がい児のデイサービス的役割を制度として保育園が果たしており、母親が働いていなくても利用できることが「当たり前」になっています。
保育園の時は、子供が小さい事もあり健常児と同じ環境で過ごせますが、それ以降は、ほとんどの障がい児は、「当たり前」ではない通園施設や養護施設に通わざるを得ないようになっています。
小学校入学は命令!
長女が、普通小学校に入学するとき、役所から入学の通知が届きました。普通であれば、親として喜ばしいはずの通知です。
文面の全て覚えていませんが、「○○養護学校へ、入学を命ずる」と書いてありました。
「命ずる」という文字に、喜びどころか、選択肢はないのかと怒りを覚えました。
どうにか工夫して近所の小学校へ入学できないかと、通学する予定であった小学校に相談したところ、「母親が常に同伴するのであれば許可します」という回答でした。
二女も障がいを持っていることを説明しているにもかかわらず、母親同伴を要求すること自体、「来るな」という間接的な回答でしかありません。
さらに、義務教育を終えた後は、障がい者だけが働いている作業所に通うか、障がい者施設に収容されるか、自宅で寂しく過ごすしかありません。
一言でいうと、「健常者と隔離された生活」を送るしかない環境です。
「障がい児・者」という言い方は嫌いです
障がい者という言葉も好きにはなれません。少なくとも、「健少者」とでも呼んでもらいたい。
一般の保育園に通わせている時など、娘も友達も何の遠慮も違和感もなく、障がいなどまったく関係なしに、友達として楽しく過ごしていました。
保育園の運動会の日、園児の集合テントの下での出来事です。
娘のほっぺをつねったりと、ちょっかいを出している友達に、頭にきたのか頭突きで対抗している娘の姿は、たくましく見えました。
徒競争も車イスを利用し親子で参加しますが、娘の楽しんでいる表情、友達の心からの声援は、今でもハッキリ覚えています。
障がいを気にして、どう接していいかオロオロしているのは、障がい児と過ごした事のない子どもと大人だけです。それは、本人の責任ではなく、日本の社会の仕組みがそうさせてしまいます。
先に記しましたが、学校もなかなか「統合教育」にはなりません。
統合とは、何も健常者と同じ授業を受けさせるべき、ということではありません。
障がいを持つ人と健常者が共に学べる学校。小さいころから隔離されて育てば、障がいを持っている人は同じ人間に見えない、何か特別な存在に思えて避けてしまう。
そうなるのは、ある意味自然なことです。