障がいと介護

我が子にリハビリ訓練は必要か?

あんずパパ
あんずパパ
もしかしたら歩けるかもしれない?当初は信じていたと言うより、神頼みも含めてもがき苦しんでいました。リハビリに取り組んだことも、親としての希望の一つの手段でした。

リハビリに親が懸命 奇跡に期待

私は長い期間、子供の頃から障がい児・者に接する経験がなかったため、「障がいを持つことは不幸なことであり、障がいと生きることは、親にとっても本人にとっても大変なことである。」、と考えてしまいます。

その結果、必然的に障がいを少しでも軽減して、健常な姿に近づけるため、親も本人(親だけか?)もリハビリに懸命になった時期がありました。
本人は、どう思っているのか確認できませんでしたが。

私も、「頑張れば治るかもしれない。少しくらい歩けるようになるかもしれない。」と、治らない病気だと知識としては分かっているはずなのに、奇跡をどこかで期待していました。

補装具を付ければ立てるかも知れない

ギブスのような腰から足先まである装具を付け、サイボーグみたいな体にして、無理やり立たせようとします。
腰から足先の靴まで金属の定規のような金属の板でつながっており、膝や腰には曲げられるような工夫がしれありました。
何度も何度も立つ練習を行いますが、一度も立つことは出来ません。すぐ倒れます。それでも根拠のない期待で繰り返します。当時は一生懸命で、それがいいのか考える余裕などありませんでした。

娘の足首が徐々に曲がって硬直していくのを遅らせようと、固い矯正用の靴を作り、痛がるのを無理やり履かせていました。今でも捨てきれずに下駄箱の中にあります。

もしかしたら、立てるようになるかもしれない。今思うと、リハビリは、親だけが懸命になっていただけで、本人は苦しいだけだったのかもしれません。

リハビリは無駄ではない

毎日、辛い痛い訓練の結果、何かできるようになったか。
少しは、体の機能を維持する期間を長くできたとは思いますが、長女も次女も、最終的には寝たきりになり、手も足も動かせなくなりました。

かといって、リハビリが無駄だったとは思っていません。
医師から宣告を受けた年齢以上に、それなりに安定した状態で日々過ごせているのは、いままで行ってきたリハビリのお陰だと思っています。

立つことや歩くことは出来ませんでしたが、膝や足首の硬直を遅らせたり、和らげたりすることが出来ました。
身体の関節の多くが、動かさないために硬直していきます。車椅子やストレッチャーへの移乗、ベッドでの寝返り等、少しでも硬直がない方が本人にとって楽です。
今では、寝たきりとなり外出はストレッチャーになりましたが、リハビリのおかげで長く車椅子での移動が出来たと思っています。
そのお陰で、2度もディズニーランドへ連れて行くことも出来ました。

今は、訪問リハビリがあり、自宅でリハビリを受けることが出来るようになりました。当時は、その様な制度はなく、リハビリに訓練に毎回付き添っていた妻は、病院への送迎含め大変だったと思います。

在宅での生活に欠かせないリハビリ

仕事でも、通所リハビリ・訪問リハビリに取り組みました。理学療法士等が在宅を訪問し、高齢者と障害者を対象にリハビリを実施してきました。

我が家で暮らし続けるために必要な生活機能を、少しでも長く維持するために不可欠なリハビリ。対象者は圧倒的に高齢者が多く、障がい児・者はわずかでしたが、「娘からもらったメッセージ」の具現化の一つでもありました。

今も月に1回ですが、病院へリハビリを受けに連れて行っています。
身体だけではなく、呼吸器リハも在宅で受けています。痰を自分で出す力が弱ってきた娘にとって、日常生活を送る上で、非常に重要なリハビリです。

呼吸器リハで役立っている医療機器が、以前紹介したカフマです。
改めてご紹介しておきます。

あんずパパ
あんずパパ
リハビリは、歩けるようになるため。立てるようになるため。違います。私の主観ですが、少しでも楽に少しでも長く、家族と共に生きるためにやっていると思っています。