「杏子に生まれてきた意味なんかない」
杏子が誕生してから、「生まれてきた意味なんかない。身体の自由はきかず、言葉も話せず、寿命も短い。なぜ、生まれてきたのか。俺を苦しませるために生まれて来ただけじゃないか!」。そう思いたいくらい、毎日の生活には、辛い出来事がたくさんありました。
外食したり、買い物に出かけたりすると、周囲の人の何か違った視線を感じます。気のせいかと思いたいのですが、確実に子どもに向けられた視線です。遊園地や動物園などに遊びに行くと、ちょうど同じくらいの年齢の子どもが不思議そうに凝視しています。
何年もそんなことが続けば、人間そこから抜け出したいと思うのか、考え方がいろいろ変化していきます。何度考えても答えが出なかった、この子が生まれて来た意味。矛先を子どもから自分に変えた途端、心の氷が一挙に溶け始めたような気がしました。
「自分は何のために生まれた来た?」
「じゃあ、自分は何のために生れて来たんだ?」初めて、自分の命、生まれてきた意義について真剣に考えました。
私は、子どもと比べて手も足も自由に動くし、頭も一応何でも考えることができます。何かやろうと思えば、何でもできる五体満足な身体を授かっています。杏子は、何かやりたくても一人で出来ることは限られます。
ある日、移動することも、まともに話すことすらできない娘が、「くさい」という言葉を発しました。いつものように帰宅した私が、脱いだばかりの靴下を、ふざけて娘の顔の前に近づけたのです。
それを見た妻が、「モモちゃん、くさいくさいよ!」と言ていたところ、それを真似して「くさい」と明確な発音で言葉を発したのです。「モモコ、しゃべれたね!」と、思わず、妻と二人で涙を流しながら拍手をしていました。
同じような出来事は、それからいくつか続きました。自分で肘をテコのように使い、スプーンでカレーを口に運んだり、いつも聞かせていた歌を口ずさんだりしました。その度に、涙まじりの拍手喝采です。普通ならなんでもない事ばかりですが、4歳で出来るようになった数少ない能力なのです。
「自分が生まれてきた意義は?」
こういう出来事を通じ、私は二つのことを同時に学びました。
一つ目は、「自分の生まれてきた意義」です。「そうだ!私はやろうと思えば何でもできるんだ。ちょっと待て。じゃあ、日頃の俺は何をやっているんだ!」。毎日、仕事に行って帰って寝て、また仕事の単調な繰り返し。たまの休みは、他人の目を気にして引きこもり。思えば思う程、情けなく思えて来ました。
「杏子が生まれてきた意義は?」
二つ目は、「杏子の生まれてきた意義」です。杏子の「おとうさん、あなたはその気になれば何でもできるのよ。それに気づいてもらうために私は生まれてきたの。」と、杏子の心の声「娘から私へのメッセージ」が聞こえて来ました。
「おとうさん、今のあなたは何をしてるの?」。娘の障がいの事だけ考えている時は、まったく気付きませんでした。本当は、自分の障がいを通じて、「私にメッセージを送るために生まれてきた」としたら。
「寅さんはこの世に必要な人?」
山田洋次監督の作品に、皆さんご存知の国民的人気シリーズ「男はつらいよ」という有名な映画がありますが、ある日、NHKテレビで山田洋次監督のインタビュー番組がありました。
その中で寅さんに関する質問があり、監督が「寅さんは世の中に必要のない人間なんです。単純に考えれば、いてもいなくてもどうでもいい。どちらかというと迷惑をかける人間かもしれない。立派な人ばかりでは、世の中味気ない。寅さんみたいな人間がいるからこそ、人情が芽生え、そこには家族や兄妹の愛情があり…」。
適確に覚えていませんので、失礼があってはいけませんが、意味的には、このような内容だったかと思います。このコメントを聞いた時、娘の存在意義を確信できたような気がしました。
「私の一生の仕事なのでは?」
前記しましたが、私も妻も奉仕団体で知り合い結ばれました。また長女が生まれた当時、私は社会福祉法人で仕事をしていました。何か、運命的なものを感じざるを得ません。
「自分は一生、福祉的な仕事をやり続ける、関わり続ける運命にあるのではないか。」と、この時強く感じました。この二つの学びが、後の医療・介護業界への転職行動へと繋がっていきます。
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