障がいと介護

夢の社会福祉士になる

あんずパパ
あんずパパ
社会福祉士資格取得までの道のりは、非常に長いものでした。一時忘れていた目標でしたが、仕事上必要性に迫られた事もありますが、20代後半で抱いた夢を44歳で実現することが出来ました。

社会福祉士になりたい

老人ホームで働いている20代の時、社会福祉士・介護福祉士の国家資格制度が創設されました。生活相談員(その後事務長)として勤務していましたので、社会福祉士を受験したいと理事長に嘆願しましたが、却下。

それから早17年。ほぼ諦めていましたが、インターネットで何気なく社会福祉士に関して検索していたところ、「地元のYMCAが、受験資格に必要な通信講座を開講した」というページがヒット。私は、2期生となりました。

詳細を調べ、仕事と家庭のバランスを保ったまま受講できる事が確認できたので、迷わず申し込みました。42歳の時です。

娘の障がいにより、精神的にも肉体的にも打ちのめされ、誰かに相談したい、助けて欲しいと思っても、自分たち夫婦も含め、いかに相談する所・人材がいないかを痛感してきました。
いっそのこと、「自分がその相談相手になれないだろうか!?」、という思いからの行動です。年齢は、44歳。受験勉強するには、少し年を取り過ぎたかなとも思いました。

私達のような家族の相談相手になるためには、同じ経験だけでは足りません。ピア・カウンセリングとしては役立っても、様々な手続きや制度・社会資源も知っておかなければ、相談相手としては頼りない。
「行政と、対等に折衝できるような専門的知識も身に付けなければならない」、という思いで一杯でした。

40過ぎての学校通い

いざ、学校が始まると、私よりはるかに年上の同級生もいてチョッと安心。しかし、勉強の内容は、なかなか難しいものでした。
日曜日に通学し、あとは通信講座です。

一番心強かったのは、同級生がいることです。
ほとんどの方が社会人で、同じクラスの中で徐々に気軽に話せる仲間が増える事は、なによりも励みや刺激にもなりました。

とは言っても、現実はなかなか厳しいものです。
仕事の合間を縫っての勉強。疲れて帰ってからの勉強。若い時のような体力や頭の柔らかさは、確実にありません。勝っているのは、気力だけです。

時間も限られますし、せっかくの休日は日曜学校で登校しなければなりません。
ここでも、励みななったのが同級生の存在です。
私は、地元なので学校まで25分くらいでしたが、鹿児島・長崎・宮崎、遠い方は五島列島から泊りがけで通ってきていました。頭が下がります。

授業より大変なのが、受験そのものです。どんなにまじめに通学したとしても、合格しなければ、努力も受講料も水の泡と消えてしまいます。

仕事から帰ってからの受験勉強が、一番辛い自分との戦いでもあります。仕事から帰り、お風呂に入り食事をしたら、自然と眠くなります。
「勉強せんと、落ちるよ。」「授業料がもったいないよ。」「年だけん、二度と挑戦しきらんよ。」「そうそう、なんのために社会福祉士になりたいのか。負けてたまるか!」と、もう一人の自分が、自分に言い聞かせます。

言い訳は通じない! 環境にあった勉強法を模索

自分の意志が一番大切と思いますが、もう一つ大きな壁があります。娘たちの介護です。
特に長女は、夜中に寝返りをするために4~6回、私を起こします。寝させてくれません。身体的に一番きついことです。

勉強するだけでも大変なのに、介護もしなければならない。
「こんな状態で、合格できるはずがない!」と、何度も投げ出しそうになりました。その度に、セルフモチベーションの繰り返しです。
「何のために受験するの。授業がもったいないよ。年だから一回で合格しないと。せっかく、大変な思いをして学校に通ったのに」…等々。

ある時、いい事を思いつきました。「どうせ寝れないなら、その時間を受験勉強に使えばいい。」
それからというもの、長女のベッドの足もとに乗り、ベッドテーブルを机代わりにした受験勉強が始まりました。
娘も、すぐ側に私がいるのが安心なのか、いつもより深く眠りに付いていたような気がします。

ここで、またまた難題。娘二人はすでに寝たきりでしたので、日々の楽しみはベッドで出来ることに限られてきます。

長女は、CDで音楽を聴くのが好きです。二女は、DVDで映画を見るのが好きです。妻は、テレビを見ています。全て同じ部屋の中での同時並行の我が家の夜の日常です。

私は、長女のベッドの上で勉強をしています。3つの音の渦の中での勉強です。これになれるまでに、相当の苦労をしました。

最初は、耳に入らないよう、自分の声が直接聞こえるマイク付きのヘッドホンを購入し、3日ほど使用しました。
自分の声が中心に聞こえてきますので、集中はしやすかったのですが、数十分付けていると、耳の周囲がヘッドホンの締め付けにより痛くなり、長続きしませんでした。
外したら3つの音の嵐です。

一番に耳に付いたのが、長女のCDから流れる詩の歌詞です。勉強の内容より、相当の詩の歌詞が頭に残りました。

よく勉強できたものだと、今でも思いますが、勉強の環境は変えられませんので、とにかくこの状況の中で、勉強を続けるしかありません。
2週間ほど経過したころでしょうか、やっと、教科書の内容が頭に残るようになってきました。3つの音が聞こえているのですが、聞こえなくなったのです。訓練のたまものと言えるかもしれません。

逆に、集中するには非常に悪条件であったがために、相当集中した勉強が出来たのかもしれません。

自分流で 出来ない理由より 出来ることを考え出す

職場での、休憩時間。銀行の待ち時間。テレビコマーシャルの時間。
ありとあらゆる隙間時間、ハギレ時間を活用し、受験勉強をやりました。

「二度と受験したくない。こんな大変な経験は一回でコリゴリだ。」、と思ったからの行動です。その甲斐あってからか、無事一回で合格することができました。

合格するまでの約2年間。私なりに大変だった分、熱いものが込み上げ、久しぶりに自分にご褒美を買ってあげました。
何を買ったかを書いてしまうと、妻にばれて大変なの事になるかもしれません。秘密にしておきます。

その後、高齢者に関わる居宅介護サービス事業所もいくつか運営していたので、介護支援専門員の資格も取得しました。
本当は、高齢者ではなく障がい児のケアプランを担いたいと思っていたのですが、定年退職後にじっくりと考える予定です。

とにかく、思いはあっても、「娘からもらったメッセージを具現化する」ために、様々な事に挑戦し行動してみると、想像した時には分からなかった困難にぶつかります。

理想と現実のギャップは、想像以上です。最近、プライベートでも仕事でも思うのですが、共通のなかなか手ごわい分厚い壁にぶち当たります。

あんずパパ
あんずパパ
40歳を超えてからの勉強は、教科書を読んでも問題集を解いても記憶に定着せず、困難を要しました。その反面、筋肉と同じで、鍛え続ければ少しずつ蘇る事も実感できました。頭も筋肉も使い続ける事が、年齢を重ねる毎に重要だとしみじみ感じています。