障がいと介護

バラ色の夢 未来予想図

当時の結婚適齢期

近年、30歳を超えて結婚する人も多くなってきたような印象を抱いています。
私がまだ妻と恋人だった時代の結婚適齢期は、男性27歳 女性25歳でした。
彼女が25歳の誕生日を迎えた年、「結婚を急がないとおばさんになってしまう。」と、慌ててプロポーズをしたと記憶しています。
そして翌年の1986(昭和61)年2月11日、バラ色の夢を抱き、自分が描く新しい家庭を築くべく結婚しました。

私が描くバラ色の人生とは

それは突飛だったり、ぜいたくな事ではありません。小さいころ実現できなかった事、家族と一緒に体験できなかったごく普通の事?です。
列記すればきりがありませんが、父親と遊んでいる友達が羨ましくてたまりませんでした。
◉働いている父  ◉給料のある生活
◉おかわりができる食卓  ◉家族旅行
◉ファミレスでの食事  ◉自分の部屋
◉志望校への進学  ◉若い母親
◉遊んでくれる父親 ...等々

絶対付いてくるな

幼稚園の頃、今でも忘れません。ショッキングな出来事がありました。
母とバス停にいると、通りがかりのおばちゃんから「可愛いですね。お孫さんですか?」と。
似たような出来事はよくありましたが、幼稚園の年長さんになった頃その意味が理解できました。
母が44歳の時の子供です。幼稚園の頃と言えば、既に50歳前です。
当時、恥ずかしくもあり大嫌いな体験となりました。
それからというもの、幼稚園の発表会や小学校の授業参観には、「絶対来るな」と言っていました。
今更ですが、母には本当に申し訳ないことしたと今では猛省しています。

未来予想図

自分が、小さいころ体験できなかった事や羨ましかった事ができる家庭を未来予想図として想像するようになりました。
子供が、一姫二太郎。日々楽しく遊び、温泉に行ったり、ファミレスに行ったり、キャンプに行ったり、魚釣りに行ったり。
未来予想図は、夢も希望も無数にある、家の中にはいつも笑い声が絶えない、明るく幸せな「普通の家庭」です。
それが、ある日を境に音をたてて崩れ去る氷山のように、一挙に冷たい海の中に消え去ってしまいました。