神様なんかこの世にいない
家に帰り着いても、考えれば考えるほど涙が噴出してきます。何時間泣き続けたでしょうか。
涙が枯れるという話がありますが、そんな事はありません。止めどなく溢れ続けます。
途中から何にかに悲しみと苦しみをぶつけたくてたまらなくなりました。
「なんで俺がこぎゃん目にあわなんとや!オヤジも寝たきり、娘も寝たきり!俺がなんばしたて言うとか!何も悪かこつはしとらんぞ…!」
自分の部屋で一人叫び、思いっきり部屋の柱をこぶしで殴っていました。皮膚がむけ血だらけです。その痛みでやっと落ち着きを取り戻しました。
怒りを誰にぶつけようもなく、神様を恨むしかありません。思ってはいけないことかもしれませんが、日頃、悪いことをしている人にも五体満足の子供が授かっているのになぜ俺が?
「なぜだ!神様なんか、この世にはいない!」とつくづく思いました。
なんで自分の子供が!?
三日ほど仕事を休みました。なぜかと言うと、人に子供の事を聞かれると涙が込み上げて来るからです。道を歩いている親子を見ると、「なんで自分の子供が?」とうらやましさとともに、涙が溢れるからです。
自分で感情がコントロールできず、何かに付け涙がこみ上げてきて、人に顔を見せられる精神状態ではありませんでした。数日たって出勤した私へ、同僚たちもどう声をかけたらいいのか躊躇している雰囲気が伝わってきます。
私は、「誤診たい。二十歳までなんて嘘たい。別の病院に連れていく、間違いに決まっとる。杏子(モモコ)は、筋ジスなんかじゃなか!」 妻、「否定しても何も変わらんとよ。寝返りもせんし、おっぱいも飲む力が弱いような気はしよったもん。」
私は、ひたすら否認したい気持ちしかありませんでしたが、妻は、母親の感なのでしょうか、以前から何かおかしいと気づいていた様です。
五体満足に生んでやれなかった
いずれ寝たきりとなり、自分で歩くことも食事をすることも出来なくなる娘。治療法もなく、長くも生きられない。
この子をこれからどう育てていけばいいのか?これからの生活を、誰に相談すればいいのか?何も思いつかず、暫く私も妻もパニック状態が続きました。
「五体満足に生んでやれなかった。」と、妻は相当なショックを受けていました。極度の不安に襲われ自暴自棄に陥りそうにもなりました。我が子が障がい児だったという現実に打ちのめされ、楽しいはずの赤ちゃんの誕生が、一転して苦難の人生への第一歩になってしまったのですから。
ちょうどこの頃、私はロータアクトというロータリークラブの青年部的な奉仕団体の地区代表を務めていました。私と妻の出会いは、この団体です。
妻は若い時から、ボランティア活動に積極的な女性でした。他人の面倒見が良く、そんなとことに引かれプロポーズしたのが、私たちの馴れ初めです。
ロータアクトクラブには、約300人ほどの会員がおり、クラブ数も大分と熊本に計20あり、代表の役割を果たすため日曜と祝日は、各クラブの例会に出席するためすべて費やしていました。家族サービスはそっちのけで、外部に向けての奉仕活動に没頭していました。
本来であれば、我が家はそれどころではありません、外部よりもっと家庭に力を注ぐべきですが、代表の任期満了まではと思い、娘の障がいの発覚から半年間、奉仕活動に専念しました。と言うより、現実から少しでも目を背けたかった。そう、家庭から逃げたかったのかもしれません。
障がいを持った子供の親になるなんて、奉仕活動を若いころからやっていた分、よけいに不当感を抱きました。「俺がなんばしたて言うとか!この子は俺ば不幸にするために生まれてきたとか!俺は、元気な子が欲しか!」と、怒りがこみ上げてきます。怒りの矛先が、神様や病院に向いている時はまだしも、自分、そして夫婦へと向き始めます。
離婚の危機
長女が9歳、小学校3年生になるまでの経験は、私たち夫婦にとって様々な変化をもたらしました。仕事観、家庭観、人生観に至るまで、私のものの見方・考え方を根本から変化させました。
第一に訪れたのが、精神的な闘いでした。先にも書きましたが、最初はとにかく神様を恨みました。しかし、神様というのは実体がなく、また、何の反応もありません。その内、「神様とう方は、いつもは存在しないものであり、自分の心の中に自分で存在させる事も消すこともできる存在なんだ。」と実感しました。宗教やある種の信仰は、その人がそれを信じるところに神が生まれ存在するものだろうと思います。
だからと言って、自分の精神状態が改善したわけではありません。それどころか、怒りの放出先が実体のない神様から、「実態のある夫婦問題」へと向いていきます。
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