障がいと介護

あきらめ(明らめ) 受容

「立ち直りの錯覚??」

何も、人生を「あきらめる」という意味ではありません。自分の置かれた子供が障がいという現実から目をそらし続けるのではなく、それがどういう意味を持つのか、自分が理解できるようにしっかりと見つめ直し、自分に対して「明らかにする」ということです。
現実に勇気をもって直面することにより、子どもの障がいを心から受け容れられるようになる。「現実から、逃げることなどできない。悲観しても何も変わらない」と、月日が教えてくれました。

「母は強し! 父は弱し?」

妻は、障がい児を持つ母の会の交流を通して、どんどん強くなっていきます。父親の会はなかったので、自分で呼びかけ作りましたが、残念ながら長続きしませんでした。男は、仕事の忙しさ等、何かと欠席の理由を付けたがります。私自身もそうでしたが、男親は、「なかなか子どもの障がいを認めたがらない。」、これが一番の理由だったのかもしれません。
そんな私の考え方に大きな影響を与えてくれた、障がいを受容するきっかけとなる言葉と出会います。

「お釈迦さの言葉」

「お釈迦様の言葉」という一枚のプリントを、「この意味が分かれば、人生が変わるから。騙されたと思って読んでごらん。」と、コンサル会社で働いていた時の社長から頂きました。一回読んだくらいでは、ピンときません。何十回読んだ頃でしょうか。ハッと、「そうなんだ!やっと分かった!」と思わず叫んでしまいました。

一切の苦の因は 我より生まれると知る時 世界の意味が変わる
世界の姿は元のままでも 物の見方・考え方の転換によって

我を 強く 深く 活かし直す力 となる

悩んでも、嘆いても、落ち込んでも、泣き続けても、子どもの病気が治るわけでも改善するわけでもない。何も変わらないことに、つくづく気付かされました。自分の置かれた状況(子どもの障がい)は何も変わりませんが、自分の受け止め方が変われば、全てが変わることに。
「一切の苦の因」は、全て自分の受け止め方が生み出しているということに、やっと気が付いたのです。

「悲劇のヒロインは自分ではない!」

自分が、悲劇のヒロインになっていました。本当に辛いのは、子ども自身です。娘は時折、自由にならない手足に、歯ぎしりをして悔しがる姿を見せます。いかに、この子の人生を楽しいものにできるか。落ち込んでいる暇などありません。

「子供の教え」

子どもたちは、今では私の人生の師となっています。素晴らしい物の見方・考え方を教えてくれました。それは「現実をどう感じようと、どんなに落ち込もうと何も変わらない。しかし、おとうさん、あなたが物の見方・考え方を変えればすべてが変わります。」ということを、身を持って教えてくれたのです。

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