娘が作ったもの、選んだものが欲しい
約10年程前の話で済みません。
平成24年5月14日(月)は、母の日でした。今はやっていませんが、フェイスブックには、様々な母の日のプレゼントやイベントが投稿されています。
親として何より嬉しいのは、子どもからのプレゼントでしょう。お金の額など問題外。全てのプレゼントに、感動がたくさん詰まっています。
カーネーション+○○等、各家庭により様々なプレゼントのオンパレード。子どもの夕食づくりから、肩たたき券、手紙、絵。内容問わず、心にしみ入り、目頭を熱くさせてくれるものばかりです。
私にも、娘がいます。子供さんがいないご家庭もあるので誤解があっては困りますが、私自身が感じたことなのでご了承ください。
母の日、父の日、子供がいた場合、普通であれば皆さんと同じ経験をしているはずですが、残念ながら出来ていません。
一度でいいから、我が子が自分で作た、考えて選んでくれたプレゼントをもらってみたい。
似顔絵でも手紙でも何でもいいから、娘が作った物・選んだ物をもらってみたい。贅沢な望みでしょうか。
子供がいるだけでもありがたいとも思いますが、正直、他の親子がうらやましく思えていました。
母の日も父の日も娘自体がプレゼント
今年で、母の日、父の日を35回迎えること(たこと)になります。長女は、20歳で自分の好きな宇宙に旅立ちましたが、二女は、今年の3月で3〇歳になりました。
今感じる母の日、父の日は、「プレゼントなどどうでもいい!」、という心境です。
妻に聞いてはいませんが、同じような気持ちではないかと勝手に想像しています。
母であり父であるためには、子どもの存在が不可欠です。
「羨ましく思えたプレゼントなど、どうでもいい。一日でも長く、母と父としてあり続けたい。」
今年の母の日・父の日も迎えられそうです。杏菜に感謝・感謝・感謝です。
私たち夫婦を、母、父にしてくれるのは娘がいてくれるからです。いてくれること事態が、最高のプレゼントなのです。
いつまでも一緒にいたい!
二女の容態は、最近、徐々に呼吸の機能が低下し始めているのか、酸素の血中濃度が薄くなってきています。
しばらくは気管切開をし、自発呼吸で頑張っていましたが、今はすべて人工呼吸器のお世話になっています。
これで良かったのか?今でも悩む日々が続いています。寿命を過ぎたと言えば、そうですが、「いつまでも一緒に暮らしたい。」という思いも強くあります。
酷な質問ですが、長女に聞いてみたことがあります。先にも書きましたが、長女は、旅立つ数カ月前よりほとんど食事をしなくなりました。
「ご飯を食んと、死ぬぞ!死にたいとね?」と聞くと、平然と「死にたい、きつい。」と言っていました。
ですから、二女にも聞いてみました。「息するのがきつい?生きるのがきついね・・・?」「もう、お姉ちゃんところに行きたいね?迎えに来た・・・?」「お父さんお母さんと一緒にいたいね?」。
バカな父親ですかね???
気管切開と引き換えに声を無くしているので、うなずくことと目で語り合うことしかできません。
勝手な受け取り方かもしれませんが、「一緒にいたい」という、うなずきとアイコンタクトにホッとしました。
再び10年前の父の日に戻ります
平成24年の父の日は6月17日の日曜日でしたが、6月13日、仕事から帰ると、娘からひと足早いプレゼント。
ご当地キャラクターである「くまもん」が、胸ポケットから少しだけ顔を出しているクールビズ用の半袖ボタンダウンシャツです。
ユルキャラ・グランプリで日本一になった「くまもん」が、胸ポケットから顔を覗かせているところがなんとも愛らしい。
球磨地方の人吉で作られている、結構日本的には有名な「人吉シャツ」というブランドだそうです。
二女の杏菜が、急きょ日赤病院に入院することになってしまったことによる、前倒しの父の日プレゼント。
もともと、小児集中治療室に空きが出たら、人工呼吸器を付けるテストをする予定になっていて、テストが上手くいかなければ、退院が父の日までに出来ない可能性があったからです。
考えてはいけないと思いつつも、「これが最後の父の日のプレゼントになるかもしれない。」と正直思いました。