障がいと介護

『娘からもらったメッセージ』最終回

あんずパパ
あんずパパ
もし、自分の子どもが生まれる時、必ず神様から次のことを問われるとします。「障がい者と健常者とどちらがいいですか。あなたの願いをかなえて上げます。」皆さんなら、どう答えますか…。

障がいは無い方がいい

自分でも子供でも対象はいいのですが、特別な理由がないかぎり、全ての人が健常者と答えると思います。
なのに、障がいを持っている人やその親は、全てではありませんが「私は幸せです」「この子は、神様がくれた宝物です」、と言います。

それは、障がいがあってもなくても、幸・不幸を左右するそのものではないという事であって、障がいがあって良かったという事ではないと思っています。
なぜなら、私自身が健常であることに感謝しているからです。

こう言うことを書くと、ご批判やお叱りをいただくかも知れませんが、あくまでも私の1歳から父親が寝たきり、授かった娘2人も寝たきりという人生経験で養われた考え方です。

障がいを持つと、残った能力を最大限に生かそうとします。
次女の杏菜が、ある日のまだ手を動かすことが出来る頃、歯をくいしばって泣いていました。
好きなおもちゃをつかもうとするのですが、思うように手が動かず悔しがって泣いているのです。

しかし、暫くすると、再挑戦をしています。見ていて感動します。
手を貸してやりたい気持ちを抑え、心の中で「頑張れ」と目を潤ませながら応援しています。

沢山の感動をありがとう!

障がいがあるがゆえに、些細なことで感動できるよりも、健康でたくさんの事を体験できることで、たくさん感動できた方が、もっと素晴らしいと思います。
正直、健常である方が、はるかに多くの感動を体験できると思います。

ただ、幸せ過ぎて、何もかもが当たり前に思えて、あげくの果てに不満ばかりが浮上する。
そんな人が増えすぎているから、それを気づかせようと、障がいを持った子どもが、生まれてくるように思えてなりません。

光があるから影があるように、出来ない人がいるから出来る素晴らしさが分かり、残された機能があるから、その素晴らしさ大切さが分かると思います。

普通に眠れることがどんなに幸せか。いつも眠れないから、それが分かります。
自分で水も飲めない子供と生活をしているから、自分で水が飲めることの素晴らしさが分かります。

辛く悲しく悩む日々の中で味あう感動には、それなりの価値がありますが、普通に笑い声の絶えない日々を送れる事が、もっと素晴らしいとも思います。

例え、そのありがたさが分からなくとも、そんな生活がしたい。いつまでたっても、この思いは消えません。

様々な人のお陰様に感謝

しかし、どんなにもがいても、神様にお願いしても現実は変わりません。
子供の障がいは治りません。だから、今の環境でも楽しく幸せな家庭にしようと努力してきました。

1歳の頃には、既に父親は寝た切り。介護保険も在宅医療も福祉用具も何もない環境での、15年間もの在宅介護の日々。しかめっ面をしながら、何度父のシビンをトイレに運んだ事か。

文句一つ言わず(私と父に聞こえないように言っていたかもしれませんが)、父の清拭や着替えを行い、私の学費を稼ぎ、食事を作り、愛情を注ぎ続けた母。

中学2年生時、栄養失調で貧血状態になり、毎日のように授業中吐き気を模様し、トイレに駆け込んでいた日々。
そんな私に、「風呂に入っていかんね。晩飯ば食っていかんね」と、優しく声をかけ助けてくれた村の人たちの愛情。

そろばんが得意で、算数が得意な私に、会計士の夢を与えてくれた兄妹や高校の先生
ボランティア活動がつないだ、福祉の仕事と妻との出会い。
医療と介護の業界へ転職させた、娘の障がい。
何もかもが連鎖していて、偶然ではなく必然的に無関係な事には思えません。

31年前に転職してから今日までK先生ご夫妻と取り組んできたプロジェクトは、私の人生経験の集大成であり、すべてを娘がつなぎ合わせたのではないかと思っています。
なぜなら、K先生ご夫妻との縁を結び、この業界に導いたのは、私の最愛の娘ですから。

それでも障がいのない娘達と暮らしたい

障がいや高齢になっても、最愛の家族がその家族らしく暮らし続けられる社会の仕組みを、私の力で出来る限りの程度・範囲でいいから実現する。
これこそが、「娘からもらったメッセージ」の実現だと確信しています。

子どもたちには、頼り合えないと生きていけない家族として、密度の濃い親子の時間を過ごさせてもらいました。
人生全てが、誰かに支えられ、誰かを支えていることだと教えてくれました。杏子と杏菜が、自分の娘で本当に良かったと感謝しています。

杏子の命日である8月で一端、「娘からもらったメッセージ」は修了します。
父親の介護を15年、今年の8月30日で、杏子が旅立ってから15年になり、生きていれば35歳です。
と言うことで、合計50年の介護生活となりましたので、ここらで少し介護の事から離れてみようと思います。

最近、次女が寝ている時間が長くなり、とうとう排尿がうまく行かず、導尿中です。
高齢者とは少し違うかもしれませんが、仕事上多くの看取りを経験してきたので、不安に感じています。
終末期には、ほとんどのお年寄りが、徐々に食事の量が減り、寝ている時間が長くなり、そして最後に尿が出なくなり、旅立たれます。

今年の3月で次女は、30歳になりました。長女より10年も長生きして、私の人生を豊かな物にしてくれています。長女は、20歳になった年に旅立ちました。考えたくはないことですが・・・・・・。

さて、私にとっては、介護がある日常が当たり前のようです。
今後もブログは続けますが、これからは「杏パパの気まぐれ日記」的な感じで書き続けますので、引き続きよろしくお願いします。。

あんずパパ
あんずパパ
出来ることなら、もう一度、「同じ家族として障がいがない杏子と杏菜と暮らしてみたい。」それが、私の叶わぬ最大の願いです。天に昇った時、それが叶うと思っています。