障がいと介護

『叶わない夢、叶う夢』

あんずパパ
あんずパパ
男だからかもしれませんが、皆さんは、いつの日か父親とお酒を飲みかわしたいと思った事ありませんか?

父親とお酒を飲み交わしたい

私には中学生の頃、「寝たきりの父が元気になり、私が二十歳になったら、一緒にお酒を飲みたい!」、という夢がありました。残念ながら、私が15歳の時に他界しましたので、叶っていません。

そうなると、次に思うのが、結婚した時の妻の父親とお酒を飲み交わす事です。何もお酒が好きな「のん兵衛」ということではなく、父親との大人としての付き合いが、「お酒を飲み交わすこと」だと思っていたからです。

残念ながら、妻も父親を高校生の時に亡くしており、これも叶っていません。だからでしょうか?飲み相手は、後輩より先輩との方が好きです。

そんな事より、自分が父親になって困ったことがあります。父親から直接、父親像を学ぶことができなかったので、自分の子供たちと父としてどう向き合えばいいのか、これでいいのか分からず、今でも試行錯誤です。

と言う訳で、とうとう二人の父親との夢は崩壊しました。

そこで最後の手段として考えたのが、「自分が父親として、自分の子どもが二十歳になった時に実現するしかない!」、という考えです。
自分の父、妻の父とも果たせなかった夢が、自分が親としてではありますが実現できる。気の長い楽しみ、夢となりました。

しかし、これも叶わぬ夢となってしまいました。自分で言うのもなんですが、つくづく父親運がないやつだと思います。苦笑いが出てしまいました。

それがです。苦肉の策で、寝たきりになってはいますが、次女の杏菜とちょくちょく飲んでいます。
口の中にスプーンでビールやレモンサワーを入れてやると、美味しそうに飲むんですよね~これが。
人工呼吸器を付けているので、小さいコップにほんの少々ですが、幸せな一時です。

娘が夢に出てこない!?

長女が亡くなってから、ちょうど1ヶ月目の初月命日の時、不思議に感じることがありました。妻にも聞いてみましたが、1ヵ月もの間、お互い一度も娘が夢に出てこないのです。
今でも、どうでしょうか?妻には確認していませんが、私の場合、年に1~2回しか出て来れません。「なんでかな~。もっと出てこないかな~。」と寂しい気もします。

仏壇に向かって、「杏子、夢でもいいから出てこんかい!」と頼んでいます(時には、文句を言っています)が、現れません。
知人から「まだ、両親の側にいるから夢に出てこないのよ。」と、教えてもらいました。

今までは、長女を連れてちょっと外出するだけでも、寝たきりの娘を連れ出すには一苦労でした。今では、どこへ行くにも一緒にいるような気がしてなりません。

繁華街を一緒に歩いたり、映画を見たり、ショッピングをしたり、流行の店で美味しいものを食べたり。娘と腕を組んで、親子デートするのが一つの夢でした。それが、やっとできるようになりました。最近、私が一番好きな魚釣りにも一緒に出かけます。

長女は、私が釣ってきた魚を、刺身や塩焼きにして食べるのが大好きでした。正直、釣ってきた魚を喜んで食べてくれる杏子がいないことは、何よりも辛く、釣をやめたい心境にもなりました。

しかし、やめてしまったら杏子は喜ばないはずですし、独り言ではありますが、娘と話しながら釣を楽しんでいます。

お仏壇は月にいる娘との通信基地

夜空にお月さんが出ていると、つい話しかけてしまいます。仏壇は、月にいる娘との通信基地。
仕事が終わって家に帰ると、真っ先(最近はコロナ感染予防のため、まずはお風呂に入ってからになっています)に仏壇の前に座ります。
今日一日のいやなこと嬉しかったことなど、一方的に話しかけています。

静かに手を合わせていると心が落ち着き、何時までもその場にいたいような気分になってきます。ですから毎日、仏壇の前に布団を敷き寝ています。

ちょうど布団に入り斜め上を見上げると、壁の上左右に杏子の写真が6枚ほど飾ってあります。写真に話しかけながら、杏菜の夜間介護のためもあり、いつもあっという間に眠りに付いています。

今でも、いつでも、どこにいようとも、「私のかぐや姫」は永遠に家族と共に生き続けています。いつの日か家族が再び一緒になるまで、叶わぬ夢も多いですが、娘の教えを胸に精一杯生きていきます。

現実としての親子の夢は、「こんちくしょー!」と叫びたいくらい叶いませんでしたが、夢の中や心の中で叶えていきたいと思います。

あんずパパ
あんずパパ
皆さんは親子の夢、どんなことを想像しますか?