何故転職したのか その精神を忘れない
自分に与えられた使命とは何か。難しいテーマです。
娘の障がいが、何となく日々生きて来た私にとって、生き方を問い直す良い機会を与えてくれました。
具体的に、どういう仕事に残りの人生を打ち込むのか。
「お父さん、あなたはその気になれば何でもできるのよ。」、という娘からもらったメッセージをしっかりと受け止めたい。
総論としては、娘のメッセージに対して当たり前のことなのでしょうが、「誰かのために精一杯生きること」と誓いました。とは言え、具体的には未だによく分かりません。
定年退職するまで、社会福祉士として、介護支援専門員として、医療法人のスタッフとして、少なからず地域住民のお役には立てたかなと思っています。
これで良いのか?答えを出すには、まだ早過ぎとは思いますが。
今までの仕事は、医療と介護が中心でした。
支援の対象は高齢者中心で、なかなか障がいの業界へは近づけません。
ボランティアとしては近づけても、先にも述べましたが、職業としては、経営的に生活を維持する上で難しい問題があります。
わかりやすく言えば、生活が出来るほどの給与はいただけないと言うことです。
障がい児施設等で働けば、直接障がい児とふれ合う事も、ご両親を助けることも出来るでしょう。
新たに障がい児施設等へ転職することも可能でしたが、そうではないと思っていました。
原点を再認識
大切な事、見誤ってはいけないことは、医療界へ転職した時の思い、原点ではないかと再認識しています。
社会福祉法人に勤務している時、長女の障がいを理由に転職し、それがきっかけで、K先生と出会い一緒に仕事を始め、あっという間に30年間が経過しました。
娘がつないだご縁です。
このご縁を切ってまで、何か他の事に取り組む事はご法度だと、娘から念を押されているような気がしてなりませんでした。
K先生ご夫妻が診療所を開業した時は、先生、私含め常勤スタッフは5人。
人もなければ、金もない。おまけに信用もない。退職する時点では、約100名のスタッフになりました。
診療所が母体ですので、どうしても高齢者や病気をした健常者が対象になってしまいますが、「いずれ必ず、障がい児・者の支援もできる体制を作り上げたい。」と思い続けましたが、残念ながら雇われの立場では難しく断念しました。