職場の支援で可能となった在宅生活に感謝!
腕や肩・腰が痛かろうが、多少の熱があろうが、親は介護から逃げられません。
身体中湿布を貼り、歯を食いしばり、痛みに耐えながら、いつものようにオムツ交換、入浴を行います。
それでも無理がある時は、職場の業種そのものが大きな支えとなってくれました。
前職が医療機関だけであったら、私への支援も難しかったかもしれませんが、訪問看護、ヘルパーステーション、デイサービス等の介護サービスも併設していましたので、どちらかの娘が入院した場合でも、仕事を休まず、というより退職せずに続けることができました。
他人を助けるより、自分の家庭が一番助かっていたのではと、K先生ご夫妻や職場の皆さんには感謝しきれません。
「地域包括ケア 杏心の丘」の開設
私が仕事で目指してきた事は、私たちのような境遇の家族が、世界で最も愛おしい子どもを施設に預けることなく、ずっと一緒に暮らし続けられるよう支援することです。
私の家族の願い、そのものでもあります。
自分の残りの人生で、どこまで目標を実現できるか分かりませんが、一歩ずつ「娘からもたったメッセージ」の具体化ができています。
その一つが平成26年7月に開設された「地域包括ケア 杏心の丘」です。
ありがたい事にK先生ご夫妻から、「モモちゃん、アンちゃんが生きた証しに、この建物の名前を君が考えんね。」と、お勧めいただきました。
思わず、感動し涙が込み上げてきました。嬉しくてたまりませんでした。
2・3日前に妻と冗談で、「施設の名称に子どもの名前が付けられたら、いいよね。」「俺が経営者であるまいし、そぎゃんこつが出来ようかい。」と、話したばかりだったのです。
お話をいただいてから、10分後には次の言葉が浮かんでいました。「杏心の丘」です。杏子と杏菜の共通の名は、「杏」の文字です。
二人の娘の生きた証しとなれば、そのままの言葉である、「モモとアンナの心(メッセージ)」を表した名称しかないと、スーっと頭に浮かび上がりました。
ましてや、その心を具現化しようとこの職業へ転職したわけですから。
建設地は、緑に囲まれた熊本駅の新幹線ホームが目前に広がって見える小さな丘にあります。プロジェクトの名称は、「地域包括ケア 杏心(あんしん)の丘」とさせていただきました。
もともと、K先生ご夫妻が目指している地域包括ケアを「安心のネットワーク」と表現していましたので、読み方としては同じになります。ご夫妻にも、即ご賛同いただきました。
また、K先生曰く。「杏林という言葉があるが、古代中国の医師が貧しい患者からは治療代を受け取らない代わりに杏の実を植えさせ、いつの日か実が樹となり林ができた。その云われから、良医を表す語とされているし、杏は、東洋医学において喘息の治療薬としても用いられてきたんだよ。本当に、いい名称だよ。」と、説明していただきました。
自分で考えた名称ですが、ますます気に入ってしまいました。
家族がバラバラになることだけは避けたい
生きている内には、何が起こるか分かりません。先天的に、あるいは人生の途中で、あるいは終末に向かう過程で。
年齢に関係なく、介護が必要となろうが、家族だけでは生活が困難となろうが、安心して住み慣れた地域で、家族がバラバラになることがなく、人生の最後まで過ごせる支援体制が、完璧ではありませんが出来上がりました。
田舎で育った私が、小さい時から当たり前の出来事として体験してきた、父親が寝たきりの生活。
病気や介護状態になっても、最後まで自宅で過ごせる地域。誰でもが気軽に集える「地域の縁側」が実現しました。どうにか、定年の年齢にまでは間に合いました。
ただただ願っていた事は、二女が生きているうちに完成して欲しい。
最近、もうお迎えが近いのかなと、思ってしまう出来事が多くなっています。
新病院の完成の時も、長女に見せることが夢でしたが、叶いませんでした。
それどころか、新病院のプロジェクトが始まるのに合わせるかのように、旅立ちました。
その分、二女には、今回の施設を見せるだけではなく、一番目に利用してもらいたいと思っていました。
詳しくは割愛しますが、厚労省は認めている制度でも市が認めず、残念ながら障がい者である娘が利用することは出来ませんでした。
時々、二女に「お父さんが、もうすぐよか所ば作るけん、生きとかなんよ。」と言うと、「うん」と、目でうなずきながら笑顔を見せてくれていました。
娘と一緒に、「杏心の丘」と書かれた小さな丘にある建物に入り、エレベーターに乗り、特殊浴槽を最初に使い、ロビーで一緒にくつろいでいる情景を想像していました。