障がいと介護

『二人目の宝物』(姉妹)

あんずパパ
あんずパパ
5年の歳月を要しました。

妹の誕生 杏菜

平成4年(1992)3月23日、結婚6周年記念日に合わせたかのように、我が家に新しい命が加わりました。3,600グラムの可愛い女の子です。この子の誕生を一番喜んだのは、杏子(ももこ)でした。

発育が遅れながらも、「赤ちゃん」というような簡単な言葉は話せるようになっていましたので、そばにいていつも無条件に「かわいいね。かわいいね。」と、ニコニコしていました。

もちろん、健常な子どもを願いました。「もちろん」と言うと、障がいを持つ杏子を否定しているように受け取られるかもしれませんが、そうではありません。ただ単純に、自分の人生経験から、健常な方がありがたかったからです。

4分の1の確率(75%は健常)で、また障がいを持つ子どもが生まれる可能性大ではありましたが、あきらめることはできません。「もし、二人目にも障がいがあったら。」当然、深く考え悩みました。

「そん時は、杏子と同じように育てればよか。おれも、とことん筋ジスと闘う」。夫婦にとって、人生で最も勇気ある決断でした。

兄弟姉妹は、多い方がいい?! 出生前診断の是非

私が、8人兄妹であったことも影響したと思います。一人っ子は、寂しすぎると思っていました。可能であれば、兄妹がいた方が、親も兄妹同士も数倍人生は楽しいものになると、自らの体験からの考え方です。

丁度、二人目のことを考えている時に、出生前診断の技術が確立されたというニュースが飛び込んできました。話によると、「子どもがお腹にいる内に障害があるかどうかの診断ができる技術」、というような内容でした。

要するに、障害があることが分かった場合、産むかどうかの苦渋の決断を強いられるということです。

数日後、地元の新聞社から取材を受けました。「もし、次の子どもさんができたとしたら、出生前診断を行いますか?」「もし、障害があると分かったらどうされますか?」

明確な記憶がありませんので、正確性に欠けるかもしれませんが、このような質問だったかと思います。ある意味、酷な質問です。回答として、賛成と言ったか反対と言ったか等、どういう返答をしたかも明確に覚えていません。

出生前診断は反対

今はしっかりと、出生前診断は反対と言えます。色んな意見があっていいと思いますが、私は反対です。そこまで人間が入り込むのは、よく神の領域という言葉がありますが、命の価値観がおかしくなってしまいます。

大切な事は、障がい児が生まれないようにすることではなく、障がい児であっても、「安心して出産でき、安心して暮らしていける社会づくり」だと思っています。障害があろうがなかろうが、親である皆さんと同じかと思いますが、自分の子供が一番可愛いく愛おしいのです。

神様は、「もう一人ぐらい、君たち夫婦だったら育てられるだろう」と、杏子と同じ子どもを授けて下さいました。優しくおとなしい長女と違い、お茶目なうるさい女の子です。

二人目の子どもの誕生で、以前と比べ確実に成長したと実感したことは、「授けてくださった」と、心から思えるようになったことです。

私は絶滅危惧種???

ただ残念なことは、不適切な表現かもしれませんが、私の種が絶滅危惧種どころか「絶滅種」になることです。

最近、年齢のせいか、他人のお孫さんが可愛く見えて仕方ありません。テレビのドラを見ていて、おじいちゃんと孫のシーンがある度に、「孫が欲しい」とつぶやいています。すると妻が、「いっぱい、いるたい。○○チャン、□□チャン」と、他人の子どもの名前を連呼します。

誰の子供かというと、杏子の担任だった先生やよく面倒見てくれた先生たちの子どもさん達です。今でも必ず、命日の日や誕生日の日には、お参りにきていただきます。担任だけではなく、養護学校の全ての先生に愛されていたことがよく分かります。

杏子が旅立った後に、3人の先生に子どもさんが誕生し、小さい内でしたがお参りの時に必ず連れて来てくださいました。杏子が、大の赤ちゃん好きだったからです。

妻からすれば、孫そのものなのでしょう。「あなたも、先生たちの子どもを孫と思えばいいのよ。」と、私を諭します。考え方によっては、「そう思えなくもないかな?」と、思っている今日この頃です。

最近、よい事を思いつきました。命のバトンは途切れますが、「私の考え方や生き方をつなぐことも、命をつなぐことになるのではないか。」、という考え方です。自分なりに、納得しています。

あんずパパ
あんずパパ
これからの人生で、どれだけの経験や知識を、どれだけの人につなぐことができるか分かりませんが、トライしていきます。